カテゴリー「万有愛護の精神を持とう」の13件の記事

2017年10月10日 (火)

身に付いたものは無意識に行われる

恩着せがましい人って、いますよね…

施したことに対し、ありがたく思わせるような態度をとります。

そういう人にとって、

人に恩を与えることは、意識的に行われ、

且つその後も意識内に残っています。

身に付けるとは、無意識に行えるようになることです。

本当に慈悲深い人にとって、

恩を与えることは、特に意識せずに自然に行われ、

且つその後も意識内にあまり残っていないのでしょう。

だから、恩着せがましくないのです。

慈悲の心を、真に身に付けたいものです。

2017年6月21日 (水)

分けなければ、争いは生じない

人種、宗教、国籍、性別、価値観、…

人々は色々なもので分けられ、

分けられたもの同士が、日々世界のどこかで争っています。

ラグビーには、試合終了を意味する「ノーサイド」という言葉があります。

試合が終わった瞬間に敵味方の区別がなくなり、

お互いの健闘をたたえ合うという精神からきているそうです。

合氣道にも、「万物同根」という考えがあります。

皆根っこは同じ仲間。

従って、自分同様に相手のことも尊重します。

分けると、争いが生じる。分けなければ、争いは生じない。

平和へのヒントは、その辺りにあるのかもしれません…

2017年6月 7日 (水)

分かち合いの精神

うばい合えば、争いが生じます。

わけ合えば、皆が幸せ。

うばい合いの世界は、利己心の強い人たちの世界。

自分と他人を分ける相対的世界。

わけ合いの世界は、利他心を持つ人たちの世界。

自分の他人を分けないつながり合った一つの世界。

自分同様に、他人も大事にする氣持ちを持ちたいものです。

2016年9月 7日 (水)

合氣道修行の目的

親は、子を大切に思い、護り、育てます。

天地(大自然)は、ありとあらゆるものに恵みを与え、成長を手伝っています。

家族を護り育てる親のように、

天地は、万有という大家族を愛護し育成しているのです。

何と懐が深いのでしょう。心の大きさ感じます。

心身統一合氣道の修行の目的は、

天地のように、懐が深く大きい心の持ち主になることです。

2016年2月29日 (月)

天地の心で生きる

この世界には、多種多様な生き物が暮らしています。

これだけの大家族を養う大自然(天地)って、もの凄く大きな心の持ち主だと思います。

ところで、草木・動物は、自分が生き延び、子孫を残すことを主眼として生きていると思われますが、

人間は、違う生き方が出来ると思います。

自分達のことだけではなく、全体のことを考え、全体の為に行動することが出来ます。

それ故に、人間は万物の霊長(the load of creation)と言えるのではないでしょうか。

万有を愛護し、万物を育成する大自然のような心を以て、人間らしく生きたいと思います。

2015年5月 4日 (月)

正しきを行うには

心身統一合氣道会 藤平光一宗主は、お弟子さんたちに、

「正しきを行える人間になりなさい」と言われました。

では、『正しい』とはどういうことなのか?

藤平宗主は、『正しい』をこう定義されました。

「誰もがイエスと言い、ノーと言わないこと」と。

自分だけ良ければいい、得をすればいいという利己主義では、

他人はイエスとは言わないでしょう。

正しきを行う人間となるには、利他も思える人にならなくてはなりません。

心の大きさが求められますね。

2015年4月26日 (日)

皆オンリーワン

釈迦は、誕生した時、『天上天下唯我独尊』と唱えたといいます。

字を見ると、「この世で自分だけが尊い」という意味に採れそうですが、本来は、

「それぞれがこの世で唯一無二の存在で、それぞれが尊い」という意味だそうです。

それならば、自分だけではなく、他人のことも大切にしなくてはと思います。

心身統一合氣道でも、相手の心を尊重し導くことを学びます。

他人を思い遣ることが出来る人間になりたいものです。

2013年4月23日 (火)

本物の武道は心を育てる

適切に使えば便利なはさみやナイフも、

使い方を間違えれば、人を傷付ける道具になります。

武道も、その用い方を間違えると、人を傷付ける技術になります。

だから武道は、心を育てなければならないのです。

武は、「戈(ほこ)」と「止」から成り立っています。

争いを収めると解釈する説もあります。

本物の武道は、相手を尊敬し思い遣る心を育てます。

2013年2月25日 (月)

自他不二

大根や魚を見ても、それが自分とは思わないでしょう。

しかし、それらを食べたら、自分の身になります。

お風呂で流した垢はもう自分ではないかもしれませんが、

少し前は自分の身体の一部ではなかったのでしょうか?

自分でなかったものが自分になる、自分だったものが自分でなくなる。

そんなことを考えると、どこからどこまでが自分なのか曖昧になります。

いや、自分というものは元々ないのかもしれません。

総てがつながりあった一つの存在。ワンネス。

存在する総てのものが自分と関わりがあると思えば、

総てのものを大事にしなくてはと、思えるのではないでしょうか。

2012年12月 6日 (木)

万有を愛護しよう

我々が生きていくには、呼吸や食事が必要です。

呼吸は、「吸う」と「吐く」をしています。

食事も、「とる」だけではなく、尿や便を「出す」ことをします。

つまり、「IN(入る)」と「OUT(出る)」がセットです。

実は、目に見えないレベルで、自然界と「氣の交流」もしています。

氣が出入りし交流することで、元氣が出て来ます。

氣の交流が滞ると、氣が病んで“病氣”になってきます。

我々は、自然界と交流することによって生きていられるのです。

我々は、天地自然の一部の存在。

自分が大事ならば、周りも大切にしなくてはなりません。

万物愛護の精神が必要です。

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